マッサン 麹がとりもつ縁 

JAPAN

最近は、ハイボールブームも落ち着き、しっかりと定着したように思われるシングルモルト。蒸溜所によって様々なタイプがリリースされ、値段も3千円くらいから、高いものは数万円のものまであります。中には言葉を失う程の金額になるものも少なくありません。それは他のお酒に比べ、職人たちの熟練の技術と長い年月をかけて作られる神秘的なウイスキーならではの価値なのでしょう。

日本で販売用の本格ウイスキーが生産されるようになったのは、サントリー山崎蒸留所の創業1924年からで、あと数年で100年になろうとしています。ニッカウイスキー余市蒸溜所の創業は1934年からで、こちらも長い歴史をもっています。

職人の国、日本では上質な本格モルトウイスキーを作り出すことに成功し、海外のファンも年々増加していると聞きます。
世界5大ウイスキー生産国の中で歴史は一番浅い日本ですが、立派なウイスキー生産国であることは間違いなく、私もウイスキーファンの一人として、とても嬉しく思います。

マッサン


2014年にNHKで放送された連続テレビ小説「マッサン」はウイスキーの父、竹鶴政孝が日本で本格的なウイスキーを生産することに、一生をかけて取り組む姿が再現されていました。
ドラマの第一回ではウイスキーの本場である、スコットランドでの修業を終えて、1921年に帰国するところからはじまります。

マッサンは広島県竹原市で酒造業・製塩業を営む竹鶴敬次郎の四男五女の三男として生まれます。造り酒屋だったことでマッサンは、幼少時から当たり前のように酒造りを見て学び、興味を持ったのは自然なことだったのでしょう。

そして料理が得意だったマッサンは学問的な興味も手伝ってか、二人の兄が嫌った酒造りの道へ進むため大阪高等工業(現在の大阪大学)醸造科へ入学します。当時醸造学を学べる学校はここだけだったようです。

そして卒業後、摂津酒造へ入社したマッサンは、本格的なウイスキー作りを学ぶため、皆の期待を背に、ひとりスコットランドへ渡ることとなります。大正七年(1918年)のことです。修業を仕上げ、大正十年(1921年)の暮れに帰国するまで、はるか異国の地ではどんなことがあったのでしょうか。竹鶴政孝さんの著書「ウイスキーと私」の中で、とても興味深い話をみつけたので、少し紹介させて下さい。

麹(こうじ)


スコットランドのグラスゴー大学に応用科学科の外国人聴講生として入学したマッサンですが思うようにウイスキー作りの習得が進まない日々が続きます。そんなある日、同学科のウイリアム教授の尽力あって、ある蒸留所での実習ができるようになります。

キャンベルタウンの蒸留所に、親友のイネー博士がいる。君のことを話したら、技師として迎えてもよいと言っている。イネー博士は、日本酒を作る麹(こうじ)に大変興味をもっているようだ」とウイリアム教授の言葉。

当時のウイスキー蒸留所はどこも門外不出の技術で、はるばる日本から来た若造に、簡単に教えてやるとはいかなかった時代です。ホームシックになりながら、本格的なウイスキー作りに必要な情報や経験がうまくできず、苦労しているとこに、それはとてもありがたい話でした。

「わざわざ日本からウイスキーの研究にやってくるとは、なんとも奇特な若者だ。」とイネー博士はマッサンを温かく迎えてくれたのでした。驚いたことに、博士は日本の清酒の製造方法に非常に興味を持っていて、「日本には、というものがあって、それで糖化作用をやっている。我々なら、麦芽を使うしか考えられない。ひとつ麹の作り方を伝授してくれないか。」と言うのです。造り酒屋の息子であるマッサンはさっそく日本に電報を打ち、種麹を送るよう手配します。当時スコットランドにはカンザス米があったようで、日本の米とは少々異なるが、米は米だといい、これを使用して麹を製造することに成功したのでした。

ヘーゼルバーン蒸留所


「イネー博士は非常に感激し、以降、私に絶大な信頼をよせてくれた。麹がとりもつ縁というわけで打ち解け、とことんまでウイスキーの製法を教えてくれた。」とマッサンは綴っています。単身でスコットランドへやって来た日から、今までの実習は、あくまで皮膚呼吸というか、肌で感じた研究であったが、イネー博士とめぐりあえて、初めて体型的、学問的に、ウイスキーについて学び得たのでした。こうして、本格的なウイスキーを日本でも作ることができると自信がついたマッサンは帰国を決意するのです。

恩師イネー博士と

日本のウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝氏を、スコットランド修業で救ったのは、造り酒屋では当たり前のように見られる、麹の製造だったのです。麹がなければもっと修業を終えるのに、時間がかかっていたかもしれませんね。

当時イネー博士がいた蒸留所は、キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所です。この蒸留所は1925年で稼働を止め、現在ではほとんどの建物は取り壊されていますが、1997年に同じキャンベルタウンのスプリングバンク蒸留所によって仕込みが再開され復活しました。このヘーゼルバーンは2006年に瓶詰めされ、スコッチでは珍しい三回蒸留のシングルモルトウイスキーとなっています。ノンピート麦芽を原料としているので、試飲ではクリーンで清々しい香りを感じ、46度のしっかりとしたアルコールボリュームの中に、仄かな麦芽フレーバーが楽しめました。個人的にはとても好きなバランスのとれたタイプだと思います。ジャパニーズウイスキー誕生に大きく関わったヘーゼルバーン蒸留所。そしてそこで起こったマッサンとイネー博士の運命的な出会いのお話でした。最後までお付き合いありがとうございました。

その他、マッサンの著書「ウイスキーと私」「ヒゲと勲章」でジャパニーズウイスキーの歴史を覗いてみるのはいかかでしょう?ウイスキーに興味を持った者なら、知っておいても損はない面白い情報が、沢山詰まっているのではないかと思います。当時のアメリカ・スコットランドの雰囲気も味わえるので、とてもお勧めの二冊です。

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